今週はTwitterを開くたびに
コンコンチキチン、コンチキチンと祇園囃子が流れ
五年ぶりに総出となった宵山の山鉾の美しさに酔いしれておりました。
遠く関東にいても宵山の様子がリアルタイムで見られる時代が来るとは
安倍晴明様は果たしてご存じだったかしら?
平安の宿縁のカップルにいったい何が起きたのか。
今週も感想文始めます!
石山寺も困惑
ここがお寺ということさえ忘れれば
焼けぼっくりに火の付いたカップルに過ぎないのに…。
添い寝禁止!物忌み中!ですよ。
フィクションなのは重々承知の上で観ておりますので、
石山寺の関係者の皆さまご安心くだされ。
ところで二人の会話を聞いていると、
道長はまひろの一般的には小賢しく思われてしまう教養の高く感性の鋭い心の動きを
相当高く評価しています。
「まひろは昔から賢かった」とうセリフでまひろを全肯定。
表現者の恋人としてなんて理想的な男性なのでしょう。
むしろ女性文学者として理想的なパトロンすぎます。
そしてまたもや(三回目?)賢い女を手中に入れることに失敗した道長。
わがまひろは 駆け引きしない、そこがいい
by道長、心の俳句といったところでしょうか。
視聴者もじらされます!
平安時代の恋愛について
「光源氏」に描かれる貴族の華やかな恋愛模様の影響からか、
平安貴族は恋ばかりしていると考えられがちなのかもしれませんが、
実際のところはどうだったのでしょう。
一見自由に見える「光源氏」ですが、
頭中将は身分違いの夕顔と恋に落ちても
身分違いで女性側が身を引いて生き別れてしまいます。
その中将の息子である柏木も源氏の妻である女三宮と密通の末、
罪の意識にさいなまれた末、病を得て死んでしまう。
光源氏にしてもあんなに愛した紫の上を
とうとう名実共北の方に据えることはできませんでした。
平安時代の恋愛は表面的には自由に見えても、
実際は厳格な社会規範と複雑な政治的駆け引きに支配されていたようです。
身分違いの恋愛は、多くの場合悲劇的な結末を迎えました。
密通がばれた場合、女性は社会的地位を失い、
男性は処罰される可能性すらあったようです。
そんな社会状況の中、
ものがたり冒頭でいきなりお上が身分違いの更衣を愛で
その結果光源氏が産まれるという物語は
相当センセーショナルだったのだろうと想像できます。
一条天皇と定子の関係は源氏の両親のようにも思われますし、
小さいころ入内した彰子は紫の上の子どもの頃のよう。(身分は違いますが)
「枕草子」が生まれた瞬間の感動もいまだ冷めておりません。
果たして、まひろが源氏物語を生み出すまでどのような舞台が準備されているのか
楽しみになって来ました。
良い子を産めよ
「そなたの産む子は誰の子でもわしの子」
まひろの子が本当は誰の子だったのか、史実との齟齬はどうなのか、
NHKは賛否両論、喧々諤々、批判上等なのか?
公共放送の考えることはよくわかりませぬ💦
先週は大暴落株だった宣孝殿ですが、
このセリフを言うためのフリであったかと腹落ちしました。
この夫婦の会話は百パーセントフィクションでしょうから、
あれこれ言うのは野暮というもの。
子どもは一人で育てると決心したまひろに女性としての誠実さを感じましたし、
全部引き受けると言った宣孝の心意気だけで十分です。
きっと賢い子が生まれることでしょう。
坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた
実資殿の悔恨はさておき、
こんな屏風の使い方があったとは知りませんでした。
なんだか都知事選のポスター板のようですが…スミマセン
花山院はじめ当時の貴族の腕が試される場だったんですね。
わたしはやはり公任殿の和歌が好み。
むらさきの
雲とそみゆる
藤の花
いかなる宿のしるしならん
藤原という姓は現代ではあまりにありふれていて、
藤の花と結びつくのに時間がかかりました。
藤原氏の藤と、紫式部の紫がこんなにも呼応するとは、
偶然なのか因縁なのか、千年経っても謎は謎のまま、
静かに今年も宵山の夜が更けていきます。
無病息災、皆さまもどうぞお元気でこの夏をお過ごしくださいね。
本日もお読みくださりありがとうございました😊
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